『大乗起信論』に、 眞如三昧者。不住見相不住得相。乃至出定亦無懈慢。所有煩惱漸漸微薄。若諸凡夫...
5:5700『大乗起信論』に、『大乗起信論』に、 眞如三昧者。。
不住見相不住得相。。
乃至出定亦無懈慢。。
所有煩惱漸漸微薄。。
若諸凡夫不習此三昧法。。
得入如來種性。。
無有是處。。
以修世間諸禪三昧多起味著。。
依於我見繋屬三界。。
與外道共。。
若離善知識所護。。
則起外道見故 とありま、語訳しますと次のようになります。。
眞如三昧なる者は、見相に住せず得相に住せず、乃至定を出でても亦た懈慢無く、所有る煩悩は漸漸に微薄なり。。
若し諸の凡夫、此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。。
世間の諸禪三昧を修多く味著を起こし、我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。。
若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。。
にお尋ねします。。
ここでいう「善知識」とは、何を意味いると思いますか? この質問は、『博多めんたい佛教大学』の授業の一環と立てま。。
『博多めんたい佛教大学』 状況に応じてホワイトボード(掲示板)の活用も有りえます。。
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